虚空(アーカーシャ)とVJ
ex:theory 2015.02.07.SAT PLUG SHIBUYA TOKYO CD HATA & VJ TONTON 先日、あるアーティストの方から、VJをみていただいて、『虚空』を感じる事ができたとうれしい言葉をいただいた。 そこで、虚空について考えてみよう。 まず、その事への感想としては、目指している一つの到達点が、自分の尊敬する方から突然に言葉として振ってきたので驚いています。 同じような意味でいわれた事はあるように思うのですが、「虚空」と簡単明瞭な言葉といて表現されたのは初めてでした。そう虚空を目指していたのだな、俺は。 虚空(アーカーシャ)とは。 なにもないくうかんなのにすべてあるくうかん だそうです。 ふむ。 ここまで来ると、VJで目指すものではないですな。 ここは、噛み砕いて説明してみましょう。 KLOMAがここでも出てきます。 SAKOTA HARUKAさんが、昔に「VJとして目指すところは、お客様が目をつぶって音を聴いて想像した世界が目を開けたときに目の前にあること」だと言ってました。 さかさまに捉えると、目の前にあったことが、目を閉じた想像の世界でも繰り広げられることとも取れます。 これも一種の虚空なのでは、ないのかとも思うんですね。 相互の関係はなりたった上では、なにも無くても良い訳ですから。 拡大解釈しすぎかしらw では、自分の場合はどうかと。 ぼくの場合はですね、実際に映像とかなにもなくてもいいとも思ってます。そこに到るまでの残像というか、光の粒子の残りというか。ただ単にある一つの映像が、脳や心を突き抜けていってくれたら最高かもしれません。そうなんですよね。そこまでいったら目をつむっても光を感じてくれる波長域につながるんじゃないかとも思ったりする訳です。 はぁ、なに言ってんだこいつ? という感じですね。 かんたんいうとですね。 完全に音と空間にシンクロできたら、すべて境界もなく、映像という認識すら無くなるんじゃないか?って事ですね。 そういう瞬間を連続的に調節できたら、きもちよくさせれるだろうなぁ。 すべてを忘れさせてやるぜ、BABY! ってことですよ! よし、解りやすくなってきた。 まだまだ虚空までは手の届かない、孫悟空みたい